RAF S.E.5

S.E.5

S.E.5a

S.E.5a

木製の枠組み構造を示す。
S.E.5a飛行隊。戦時検閲によりシリアルは消されているがより目立つ飛行隊マークは残されており、第32飛行隊であることがわかる。
オーストラリア戦争記念博物館のS.E.5a

ロイヤル・エアクラフト・ファクトリー S.E.5The Royal Aircraft Factory S.E.5)は、第一次世界大戦におけるイギリスの複葉戦闘機ソッピース キャメルよりも先に西部戦線に到着し、しかも性能もすべてにわたって上回っていたが、イスパノ・スイザエンジンの慢性的な不足という問題に1918年になるまで悩まされ、結局、装備した飛行隊の数はソッピース戦闘機のそれを下回ることとなった。S.E.5はキャメルとともに1917年夏の制空権の回復を連合軍にもたらし、戦争の残りの期間これを維持する力となった。イギリス陸軍航空隊ドイツ空軍よりはるかに大きな損害を被った1917年の「血の4月」の再現がなされることはついに無かった。

  1. ^ "RAF SE 5 - SE 5A." Austin Memories. Retrieved: 26 July 2009.

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